元興寺(がんごうじ)は、元々は蘇我馬子が飛鳥(現在の明日香村)に建立したもので、平城京遷都に伴い、現在の地に移転されたものです。因に、飛鳥にあった元の寺の跡地には、飛鳥寺(本元興寺)が建っています。かつては、東大寺・興福寺と並ぶほどの勢力だったようですが、中世以降衰退し境内の大半は宅地化されました。現在は、元興寺(元興寺極楽坊)、元興寺(境内は元興寺塔跡)、小塔院に分立して残っています。
ならまちは、奈良の旧市街(「奈良市の都市景観形成地区」)のエリアで、元興寺の旧境内はその一部となっています。京都や金沢の町屋と同様に、太平洋戦争の戦火を逃れ、江戸時代以降の古い町屋が残っています。伝建地区に指定されてもおかしくないです。文化財に指定されている建物を辿りながら散策したのですが、まだまだ魅力的な小路がありそうです。
(2022.8)