高松は、四国の玄関口、かつては宇高連絡船の発着地でもありました。連絡船の埠頭だった高松港旅客ターミナルビルの1Fの入口には、埠頭へ続く線路が残されています。
あいにくの雨のため、「高松シンボルタワー」から瀬戸内海の島々が見れなかったのが残念です。
高松城は、戦国時代末期に生駒親正によって建てられた城で、後に松平氏が住むこととなります。「玉藻」というのは、讃岐国の枕詞「玉藻よし」から来ているそうです。
公園内にある「披雲閣」は、松平家の別邸として作られたもので、当時はもっと規模が大きかったようです。
(2017.10)